朝ドラブギウギの主人公のモデルである笠置シヅ子さん。
「東京ブギウギ」「買い物ブギ」などのヒット曲で知られる、昭和前期に活躍した歌手です。
ブギの女王と呼ばれるほど、日本にブギの曲を広めています。
未婚で娘を出産したり、とプライベートは波乱万丈。
笠置シヅ子さんはどんな人なのか、晩年、死因などもまとめてみました。
昭和23年に出版された自伝の復刊からの情報を記載しています。
朝ドラブギウギのモデル笠置シヅ子とは?
笠置シヅ子さんは昭和の戦前から歌手として活動していました。
本名は亀井静子(かめいしずこ)。
1914年(大正3年)8月25日に香川県で生まれました。
生後まもなく父親が亡くなり、母親は実家へ移り住みます。
しかし母親は母乳の出が悪く、近所の女性から貰い乳をしていました。
その後その女性が実子とともに、シヅ子さんを大阪へ連れて行ってしまいます。
全くの赤の他人の家庭の養子となりましたが、この事実を知ったのはずっと後のことだそうです。
これだけでも衝撃的ですね。
授乳しているうちに情が湧いて、自分の子にしたくなったのでしょうか。
実の母親も夫を亡くし育てていくことが難しかったこともあるようです。
周囲の人々も子供を手放すよう勧めていたのだとか。
亀井家の養子となった時は亀井ミツエという名前でした。
百日咳と診断されしばらく寝込んでしまったシヅ子さん。
自宅のそばを通りがかった老女(自称祈祷師)から金比羅神社のお札をもらったそうです。
そこに「相生村 しづ子」と書かれていました。
相生村はシヅ子さんの生まれた場所で、この偶然に両親はギョッとしたとか。
シヅ子さんは奇跡的に回復し、それを機に「亀井志津子」と改名し「亀井静子」で届出をしています。
シヅ子さんとともに連れて帰った実子(息子)は、幼い頃に亡くなっています
劇団入団、そして歌手デビューへ
小学校を卒業後に宝塚音楽学校を受験しますが、小柄で痩せ型のため、宝塚の生活に耐えられないと判断され不合格。
その代わりに松竹楽劇部生徒養成所に合格し、舞台女優としてスタートします。
このときの芸名は三笠静子。
後に昭和天皇の末弟である澄宮崇仁親王が「三笠宮家」を創立したのを機に、三笠姓を避諱して笠置シズ子と改めます。
これだけが理由ではなく、シヅ子さんは踊りより歌を売りにしようと決めたこともきっかけだそうです。
1938年(昭和13年)に帝国劇場で旗揚げした「松竹歌劇団」に参加し、音楽家・服部良一さんと出会います。
戦争が激化するにつれ歌劇団が解散してからは、「笠置シズ子とその楽団」を結成し慰問活動を行いました。
楽団は揉め事が絶えず、とうとう解散。
同時期に映画にも出演し、その姿を見て服部良一さんが歌手としてのシヅ子さんの才能を認めていました。
シヅ子さんが歌うために曲を作るのが服部さん、という関係ができあがります。
ちなみにこの頃、シヅ子さんが共演していた益田喜頓さんは、朝ドラマー姉ちゃんに出演していた牛尾のおじいちゃんなんです。
宝塚に入団していたら歌手になっていなかったかも?
終戦後ブギの女王の誕生
1945年(昭和20年)に終戦を迎え、エンターテイメント業界も活気を取り戻します。
1947年(昭和22年)に「東京ブギウギ」が大ヒット。
この曲をはじめ、服部良一さんはシヅ子さんの歌曲の大半を手掛けており、「大阪ブギウギ」「買物ブギ」など「ブギもの」をヒットさせ、「ブギの女王」と呼ばれるようになります。
数年後に美空ひばりさんがデビューするまでスーパースターとして芸能界に君臨。
美空ひばりさんはシヅ子さんの物真似から有名になったほど。
同時期に歌手として活動していたのは淡谷のり子さん。
朝ドラではライバルという関係で描かれていますが、シヅ子さんと淡谷さんが特別な確執があったかは記述がありません。
ですが、淡谷さんにマネージャーを紹介してもらったり、と接点がありました。
戦争が終わり少しずつ復興してきた日本に元気を与えてくれたのが「東京ブギウギ」ですね
娘を出産するが・・・
「東京ブギウギ」のヒットの前に、シヅ子さんは芸能活動を続けながら昭和22年に娘・亀井エイ子さんを出産。
父親は吉本穎右(よしもとえいすけ)さん。
吉本興業創業者の吉本せいさんの息子です。
朝ドラわろてんかのヒロインのモデルになった人ですね。
吉本穎右さんとシヅ子さんは結婚していません。
というのも、母のせいさんが大反対したため入籍に至らなかったのです。
シヅ子さんの方がかなり年上というのもありますし、人気歌手が後継ぎの妻では相応しくないと言われていました。
さらに穎右さんは23歳の時に結核で死去。
エイ子さんが生まれる数日前のことでした。
シヅ子さんは本当に波乱に巻き込まれる人ですね。
結婚させてもらえないどころか、娘が誕生した喜びを分かち合うことも叶いませんでした。
シヅ子さん自身も父親を物心付く前に亡くしていますので、娘さんの気持ちもよくわかっていたことでしょう。
このときに引退を考えていたのですが、服部さんや榎本健一(エノケン)さんに励まされ現役を続行。
乳飲み子を抱えながら舞台に立ち続けました。
妊娠中もお腹を隠して「ジャズ・カルメン」を演じています。
初産で出産した年齢はすでに33歳、しかも未婚。
当時の感覚で考えると何もかも常識はずれだったことでしょう。
穎右さんの死去後にエイ子さんが生まれているため、吉本家の戸籍に入ることができませんでした。
裁判を起こせばできないこともなかったのですが、過去にない事例になるので社会的に話題になってしまうことを避けたそうです。
吉本せいさんはエイ子さんを後継にと言ったそうですが、シヅ子さんは拒否してます
笠置シヅ子と街娼
ドラマ「ブギウギ」でも描かれているように、笠置シヅ子さんは街娼の女性たち(俗称:パンパンガール)に対する理解がありました。
「東京ブギウギ」のヒットで乳飲み子を抱えながらステージに立ち続けるシヅ子さんの姿に、多くのパンパンガールが元気づけられたと言います。
シヅ子さんは“ラクチョウのお米”姐ねえさんをリーダーとするパンパンガールの仲間に会いに行き、その後も親交を深めていきます。
世間は闇に落ちた女性と蔑視するけれど、シヅ子さんは悪い人たちじゃない、生一本な純情な人だと考えていました。
アメリカ公演の前に行われた特別公演では、日劇の1階の半分の座席をパンパンガールたちが買い占め、大きな花を贈ったそうです。
彼女たちとシヅ子さんの交友は続き、娘のヱイ子さんの誕生パーティに招いたり、ラクチョウのお米さんが病に倒れた時も見舞いに駆けつけています。
笠置シヅ子と美空ひばりの確執?
笠置シヅ子さんと美空ひばりさんは不仲だったとの話があります。
持ち歌がなかった頃のひばりさんが、シヅ子さんの歌を劇場で歌っていました。
日本劇場大劇場での公演「ラブ・パレード」に出演したひばりさん。
この時にシヅ子さんの「ヘイヘイブギー」を歌う予定でした。
しかしシヅ子さんからリリース間もない「ヘイヘイブギー」を歌うことに反対し、「東京ブギウギ」を歌うなら良いと許可が出ました。
事前に音合わせをしていなかったため、ひばりさんは「東京ブギウギ」の歌い出しをミスしてしまい屈辱的な思いをしたのだとか。
その後も同じようなことがありました。
ひばりさんのハワイ公演でシヅ子さんの歌を歌うことに難色を示しました。
というのも、日本国内であればシヅ子さんの歌だと分かるのですが、ハワイではそうはいかない。
ハワイ現地の人からすると、ひばりさんの歌だと認識されてしまいます。
そしてその直後にシヅ子さんもハワイ公演を予定していました。
これを理由にシヅ子さんはひばりさんに、自分の歌を歌わないでくれとストップをかけたのです。
またもや歌うことを止められ、ひばりさん側はシヅ子さんに良く思われていないと思っていたようです。
この話が大きくなり「笠置シヅ子は美空ひばりが嫌い」と騒がれるようになっていきます。
シヅ子さんは特に否定もしなかったため、余計に2人の溝は深まっていきました。
1951年に行った和解会見は、単なる演出で本当の和解ではないとされています。
現にひばりさんは1971年に出版した自伝で「笠置さんとは仲直りできていない」と書いています。
美空ひばりさんと本当に仲が悪かったのは、淡谷のり子さんじゃないかという話も
笠置シヅ子とジャニー喜多川の意外な関係
シヅ子さんはハワイ公演の後、ロサンゼルス公演を成功させます。
この時に手伝いをしていたのがジャニー喜多川氏。
当時はステージボーイなど裏方の仕事していたジャニーさん。
ロサンゼルス公演後もシヅ子さんと服部良一さんとの交流を深めています。
シヅ子さんのステージを見て、ショービジネスに興味を持ってから自身も事業を始めようと思い立ちました。
この時にジャニーさんが相談したのが服部さん。
そしてジャニーズ事務所が誕生することになります。
シヅ子さんとジャニーさんも交友は続き旧ジャニーズ事務所のアイドルたちが、コンサートでシヅ子さんの歌を歌うようになります。
KinKi Kidsのデビューアルバム「A album」には、シズ子さんの「たよりにしてまっせ」をカバーした曲が収録されていますね。
不祥事なのでここに記述するのは忍びないのですが余談を・・・
服部良一さんの次男・吉次さんがジャニーさんから性被害を受けていたと告発していました。
ジャニーさんと服部さんの出会いを知ると、なんとも卑劣な行為と思います。
歌手廃業、女優へ
ブギが下火になり、一世風靡した後はあっさりと歌手業を引退。
女優に転身してからは芸名を笠置シヅ子と変えました。
そして公の場だけでなく、プライベートでも歌を歌うことを一切しなかったそうです。
1960〜70年代は映画やドラマに多く出演。
台所洗剤のカネヨ石鹸のCMに出ていたのが印象的ですね。
このCMって1976年生まれの私も記憶にあるんですよ!
調べてみたら1980年代前半まで、笠置シヅ子さんが出演していました。
2023年時点で40代後半以降の方なら、見たことがあるはずです。
カネヨンの人が歌手だったなんて知りませんでした。
歌手としての過去をきっぱり切り離していたからでしょうね。
笠置シヅ子の晩年と死因は?
笠置シヅ子さんは1980年に入った頃から、体調を崩すことが増えました。
1985年3月に卵巣がんで死去。
満70歳でした。
晩年は1人娘のエイ子さんが一緒に過ごしていたようですね。
シヅ子さんが亡くなる直前、ドキュメントドラマで研ナオコさんがシヅ子さんを演じています。
その他、笠置シヅ子さんが出てくるドラマで室井滋さん、真琴つばささん、チャラン・ポ・ランタンももさん、EGO-WRAPPIN'中納良恵さんなどが演じてきました。
そして朝ドラでは趣里さんがヒロインとして演じます。
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参考ブギウギ
ブギウギ基本情報 2023年度(令和5年度)下半期にNHKで制作され、NHK総合とBSプレミアムで放 ...
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まとめ
笠置シヅ子さんは松竹歌劇団を経て、笠置シズ子とその楽団を結成し歌手活動
服部良一さんと出会い、東京ブギウギなどのヒット曲を出す
出産後も芸能活動を続け、女優に転身